なこのすけらいふ

体験したこと、感じたこと、考えたこと

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運動音痴コンプレックス

今では立派な後期高齢者となった我が両親ですが、ともに『スポーツマン』です。

 

両親の出会いは(聞くところによると)職場のバレーボール同好会であったとか。テニスコートの恋ならぬ『バレーボールコートの恋』。

昭和あるあるの職場結婚です。

 

父はバレー以外にもスキー、ダイビング、テニス、ゴルフなどにはまっており、たいていのレジャースポーツには興味深々でチャンスがあればなんでも体験するスポーツ好き。

 

一方の母はバレーボール一筋、長年続けたママさんバレーではポジションはセッター、キャプテンまでつとめた経験があります。

 

このようにスポーツ好きの両親の子供である私はといいますと。。。

生まれながらに股関節の開きが悪い、というハンデ以外は身体的な問題はないかと思うのですが、どうにも運動センスがありません

 

小学校に上がって初めての運動会での行進では、右手と右足、左手と左足が同時に出るという、いわゆる『なんば歩き』、馬でいうところの『側対歩』をしていたそうで、見る側は猛烈に面白かったそうです。(本人真剣)

ナンバ (歩行法) - Wikipedia

側対歩の特徴は?斜対歩との違いと、乗馬でのメリットを解説 | ホースアカデミア

 

かけっこも早い方ではありませんでしたし、球技に至っては絶望的でした。

特に、手や腕が痛いバレーボールなんて、私にすれば存在自体が信じられない自虐的なスポーツです。

 

中学校の体育の授業でバレーが始まると、母に頼んで特訓をしてもらいましたが、到底手の痛みに耐えられず、一向に上達しませんでした。

高校の体育では受験直前のバレーボールでレシーブを受けそこなって右手親指を激しく突き指し、受験当日は鉛筆をげんこつ握りで答案用紙に向かうはめにもなってしまいました。。。

 

こんな子供時代を送りましたから、「運動音痴」というのは自他ともに認める私の特徴となっていました。

 

苦手なものを楽しめるほどポジティブな性格でもなかったので、付き合いでスキーやテニスに参加することはあっても、長じて積極的にスポーツに取り組むということは考えられませんでした。

 

30代になって、妹に誘われて乗馬体験に行ったとき、とても楽しくてすぐ入会してしまったのですが、このときは「乗馬はスポーツ」ということに気づいていませんでした

乗馬はその後20年も続けることができました。

 

乗馬は、陸上競技や球技などのハードなスポーツと比べると身体の負担は少ないですが、常に激しく動く馬上でバランスをとる必要があるために体幹が鍛えららます。

腹筋も知らず知らず『シックスパック』になりますので、れっきとしたスポーツですよね。

 

乗馬を引退後は、ボルダリングにも挑戦しました。

こちらも、自分には向いていたようでちょっとしたバランスとテコの原理で面白いように(年齢のわりに)登れるようになりました。

 

中年以降になってやっと「自分は特別、運動音痴だったわけではないのかもしれない」と思えるようになりました。

また、「プロになるわけではないのだから、運動は楽しめればいいだけやん」ということにも気づきました。

 

学校での体育の授業では、『運動ができる子』が評価されがちです。(現代はどうか知りませんが)

でも、運動は楽しいもの、気持ちのいいもの、ということをもっと教わっていれば、大人になってもっと楽しめたのになぁ、と思ったりします。

 

これは運動だけでなく、音楽や絵を描くことなどにもいえるかもしれません。

理想は「人馬一体」。