なこのすけらいふ

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昭和生まれバブル育ち その3 副業時代

今から35年前に私は新社会人となり、とある繊維メーカーで働き始めました。
仕事は和装帯地のデザインです。

実は着物は「帯で着る」といわれるほど帯の品質が重視され、着物より高価な品物もたくさんあります。

洋服でいう靴や時計、ベルトなどと似ているかもしれません。

帯が着物を引き締めます(写真ACより)


以前も書きましたが、私の初任給の手取りは10万円を切っており、一人暮らしの生活はいつもギリギリでした。

nakolife.hatenablog.com

当時の会社は5時半が定時で、「残業」という概念が存在していませんでしたので、当然残業代で収入を増やす道もありません。

家賃は水道代込みで4万2千円、オール電化の電気代1万円、食費はたまの外食を除いて1万5千円でした。

そこで6時からまた別の同業の会社で3時間ほどアルバイトをし、持ち帰りの仕事などをもらっていました。こちらの会社は学生時代の友人の紹介です。

今思えば若く、体力もあったのでしょう。

その後は、社内の営業社員の紹介で、また別の同業他社の仕事も請け負うことになりました。こちらは持ち帰りの出来高制です。

これらの収入でなんとか3~5万円くらいは稼げていましたので、とても助かっていました。

一人暮らしなのでたいした家事も必要なく、誰の気兼ねもない環境だからこそできたような気がします。

当時の会社が副業を禁止していたとかは考えたこともありませんでした。ただただ本業だけでは生活が成り立ちにくいために副業せざるを得なかったのです。

しかし、副業は収入面だけでなく、自分の視野を広げることになったのも事実です。

その後、二社目の仕事を全面的に引き受けることにし、本業の会社は退職してフリーランスとなって二年間働きました。

フリーランスとなって最も実感したことは、会社員時代は様々な恩恵に恵まれていた、ということです。

売上から社会保険料や税金を納めると、会社員時代と同等の可処分所得を得るためにはかなり仕事をすることが必要です。

成果物がなければお金にならないので、とにかく動く(私の場合は描く)しかありませんが、私は自分に甘い性格で、締め日ギリギリにならなければ仕事に取りかかることがでしません。

そのうち、「こんな生活を一生続けて大丈夫か?」と思うようになり、その後再び会社勤めを再開しました。

時代は流れ、今、政府の働き方改革のひとつとしての副業が推奨されており、副業ブームです。

政府の思惑はさておき、私も今また仕事は定時で上がれる状況になりました。

また何か副業に挑戦して経験値を増やしてみるのもいいかと思い、ひそかに「ココナラ」などにも出品したりもしています。

coconala.com

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