なこのすけらいふ

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昔の旅の思い出 その2 中国のトイレ

公共トイレ(写真ACより)

昨日、台湾旅行の思い出を書いたので、この勢いで今日は中国のことを書きます。

私の生まれて初めての海外旅行は中国です。忘れもしない天安門事件の翌年1990年、今から30年以上も前のことになります。
残念ながら観光ではありませんでした。

卒業後に最初に勤めた会社の仕事(製造業の技術指導)で、蘇州市にある工場へ、2ヶ月に一度のペースで出張していました。

バブル期にも関わらず手取り10万未満の給料だったことは以前書きましたが、この海外出張1日4,000円の日当でなんとか人並に暮らしていけていたともいえます。

nakolife.hatenablog.com

経済成長、社会の変化が猛スピードで進む中国です。

「今ドキのチャイコスがプチプラで激カワ~!(最近の中国コスメが安くですごくかわいい!)」などとしゃべっている今の若い人たちには、30年前の中国の様子はピンとこないことばかりかもしれません。人民服を着たおじさん、おばさんがまだたくさん街中にいた時代です。

というわけで昔の中国といえば、まずはトイレの思い出を書かなければなりませんですね。

工場のトイレは基本的にドアのない(仕切りはある)「こんにちはトイレ(ニーハオトイレ)」でしたが、私たち外国人が使うトイレにだけにはドアが付けられていました。

中国の人は何故かとにかく何にでも鍵をかけるので、この外国人用トイレのドアにも普段は鍵がかかっています。ちょっと面倒ですがトイレに行きたい時は管理者に鍵を開けてもらって使うというシステムでした。


一般に、中国で個室ドアのあるトイレといえば空港かホテル、外国人用の施設、高級レストランなどで、公園などの公共施設は基本的にニーハオトイレ、入り口にいる係のおばさんにいくらか払って紙をもらうという仕組みになっていました。紙は溶けにくく水流も弱いので詰まってしまうということで使った紙は流さず、ゴミ箱に捨てるのが一般的です。

このころはまだ人糞の肥料で野菜を作っていたのでしょう。現地で食べた野菜の味がやけに濃く、おいしかった思い出があります。ナスや椎茸、豆苗や青菜など多分人生で一番おいしい野菜が食べられた時期だったかと懐かしく思い出されます。

地方では家の中にトイレのない場合も多く、昼間は近くの公衆トイレを使い、夜は真っ暗で危ないので、馬桶(マートン)という桶に用を足して、朝それを洗って各戸の戸口に干してあるのが風物詩となっていました。

 

もう20年ほど中国へ行っていないので、今のトイレ事情はわかりませんが、大阪市内のトイレでは中国語で「紙は水に流してください」とわざわざ書かれていますので、今でも紙はゴミ箱に捨てるトイレが多いのかもしれません。

アメリカなんかはドアの下のスキマが50cmくらいもあってこれも落ち着かないものです。(防犯目的だそうですね)

トイレ事情は各国さまざまで大きなカルチャーショックですが、現地の生活に根差しているのもトイレ事情、なかなか興味はつきません。

 

今日は、中国のトイレにまつわる思い出話でした。