なこのすけらいふ

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コロナ感染の思い出

コロナ5類移行から早や1年を過ぎました。

私も今やマスクの着用は病院に行くときだけになっています。

 

私と連れ合いはわりと早い時期に『デルタ株』に感染しました。

 

義母は施設にいたとはいえ、度々病院に連れていく必要がありましたし、自分たちが感染するわけにはいきません。高齢者施設のクラスターは日々ニュース報道されていました。

 

なので最初の緊急事態宣言以来、外出は会社だけ、スーパーはまとめ買いして職場の人と家族以外の誰とも会わない生活をしていました。

 

私の職場はリモートも時短も一切なく通常出勤でしたので、職場で手洗い、マスク、換気、消毒も徹底していましたが。。。

あるとき職場の担当役員がコロナ陽性で入院したことを知らされました。

 

この人、深刻なコロナ禍であるにも関わらず『接待を伴う飲食店』での顧客接待を繰り返していました。

そういえば数日前から職場であごマスクで大きな咳をしてたなぁ。。。席もすぐそばでした。

 

私もそのときなぜか微熱が下がらず不安に思っていました。

慌てて検査してもらえる医療機関を探して受診したところ、PCR検査と抗原検査を受けて5分後に陽性が確定、その日のうちに入院となり、市内の隔離病棟に入院となったのです。

 

当時は志村けんさんや岡江久美子さんが亡くなったという報道もあり、私もレントゲンで肺炎になっていたこともわかって「もうこれで家族とは会えなくなるかも。。。」と、とても不安で泣けてきました。

 

その後連れ合いも遅れて陽性となり、私と1週間ずれて別の病院に入院、二重の不安です。

 

入院中の私の症状は一般的な風邪症状と嗅覚異常だけでしたが、酸素飽和度は93くらいで、何かコロナ特有の異常があるようでした。

 

病室では特別な治療はなく、頭痛がひどいときにカロナールをもらって飲むだけです。

病棟は個室で、部屋の掃除も自分でやります。ゴミは『バイオハザードマーク』のついているゴミ箱に溜めて、退院の日に自分でゴミ出ししてください、といわれました。

 

人と会うのは1日数回の看護師さんの巡回だけですが、この時期感染者病棟に勤務されるスタッフさんたちはどんな思いで、と胸が詰まりました。

同居の小さい子供や高齢の親がいるかもしれない、ニュースでは病院の駐車場で車中泊している人もいるなどの話も聞いていましたので、本当に頭が下がる思いでした。

 

幸い私も連れ合いも重症化はせず1週間で退院となり、後遺症も残らず快復することができました。

 

退院後は保健所のガイドラインで出勤することができましたが、かわいそうなのはそのとき同居していた長男です。

私に引き続き、周回遅れで同居の父親の濃厚接触者ということになり、全部で1カ月弱の出勤停止となってしまいました。

 

私の感染経路は証拠がないので確定できませんが、当時職場では「外食は控えるよう」通達が出ていたのに『接待を伴う飲食店』の利用などもってのほかだと思いました。

しかもこの人、いつもマスクをあごまでずらして大きな咳をしていましたし。

 

その次の月にあった東京の展示会のアテンドスタッフにも、「抗体があるから大丈夫でしょう」と感染履歴のある私が行くことになり、なにか釈然としないコロナ感染の思い出となりました。

 

入院中の食事。晩ご飯のメインのおかずはサバ率80%でした!!