昨日は実家の父の84歳の誕生日会を、私と連れ合い、妹と母とで焼肉でお祝いしました。
84歳といえば、男性の平均寿命は超えています。
連れ合いの母も一昨年老衰で亡くなりましたし、我々親の世代もそろそろお迎えのくる世代になりました。
親しい友人の中には、両親とも見送った人、今まさに90代の母親の介護をしている人と様々です。
私の両親はまだ自立して生活ができていますが、84歳の父のこの頃の悩みは「同級生が半分以上、亡くなったか認知症になった」ということです。
寂しさと、自分もいずれ、という恐れが同時に来ているのでしょう。
どの世代の悩みも「その年になってみないとわからない」ものです。
昔、母方の祖母と同居しているときに、祖母が初めて家の中で粗相してしまったことがありました。
ちょうどそばにいた私がお世話をしようとしたら、泣きながら「ほっといて!」と拒まれたことがあります。
「あんたもこの歳にならんとわからんのや!」と。
確かに、『その歳』にならないと、本人の心情は正確にはわからないです。誰しも他人になりかわることはできないですから。
でも、「わかろうとする努力」は必要なのではと思います。
父は昔から口癖のようにこう言います。
「子供叱るな来た道だ。年寄り笑うな行く道だ。」
自分もいずれ向かう道へ、できるだけソフトにランディングできればいいなぁ、と思っています。