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昔の旅の思い出 その3 中国蘇州での接待事情と美味しい食事

水の都、蘇州。東洋のベニスともいわれています。(写真ACより)

1990年代、当時私が仕事で経験した中国での接待事情です。これは「接待事情」であるとともに、私にとっては貴重な「中国の食の思い出」でもあります。

30年前の中国はまだおじいちゃんおばあちゃんは人民服を着ていた時代、広い公道を隙間なく自転車が埋め尽くす朝夕の通勤風景は中国を代表する光景でした。

中国の工場には賓客用の豪華なレストランが併設されていました
私は中国の工場で2ヶ月に1度、2週間滞在して工員さんの技術指導や検品などの仕事をしていました。昼食時は毎日、工場の賓客用食堂か外のレストランに連れていかれます。

工場の食堂とはいえ、出てくる食事は10品以上の本格的な料理が次々と運ばれてきます。当時日本はバブルでしたが、それでも中国の接待料理には目をみはるばかりでした。食事内容は町の高級レストランと遜色ありません。日本に社内で接待ができるほどの食堂施設を有する会社があるでしょうか。

円卓を囲むのは私たち日本人は2人、工場側の列席者は工場長、責任者数人、通訳さん、そしてなぜかいつも運転手さん(ホテルと工場の送迎をしてくれる工場の職員としての運転手さん)は必ず列席しています。

更に「この人誰?」というような、見知らぬ人が数人円卓には紛れこんでおり、常に10人前後の大宴会。昼食ですが、当然お酒付きです。

昼なのに、かなり盛大な食事タイム
昼からビール、紹興酒、白酒 (中国の蒸留酒)が供され、干杯(カンペー)の連続です。

中国の乾杯は日本とは異なり、一度杯を合わせると本当に杯を干さなければなりません。飲み干したコップを逆さにして相手に見せるまでが中国の乾杯。ここで日中双方に足腰たたなくなるほどの人も出てきます。調子に乗って乾杯を重ねると午後の仕事な成り立ちません。

これが滞在中毎日繰り返されますから、なかなかハードです。胃腸がデリケートな人は中国出張は向かないなと思いました。

中国で初めて覚えた中国語
食事中はいつも必ず「コウラマ?(足りますか?)」と何度も聞いてくれます。

中国では接待で食事が足りないことはものすごく悪いことなのだと、あとで教わったのですが、何度も何度もコウラマ?と聞かれるので、「チーパオラ(お腹いっぱいです)」と答えるしかありません。なので「コウラマ」と「チーパオラ」は私が現地で初めて覚えた中国語です。


正直、宴会のかなり前半で「チーパオラ」なのですが、そんなことには頓着せず料理はどんどん追加オーダーされていきます。はっきり言ってこちらの満腹状況は考慮されていません。

私たち日本人は「残すと失礼」だと思い死ぬ気でお腹に入れていきますが、そんな必要はなかったのだと食後に知ることになります。


お昼の宴会が終わったとたん、中国サイドがワイワイとビニール袋に残った料理を詰め始めました。

残り物はひとつも無駄にせずちゃんとみんなでテイクアウトされ、おうちで待つ家族の食卓に並ぶのです。だから、毎日の接待が必要で、残すことが必要だったのか!と納得です。

美味しかった思い出の料理
この中国の昼食接待でいただいた料理はどれも本当に美味しかったのですが、その中でも記憶に残る料理をご紹介します。

豆腐干(トーフカン)
豆腐の水を抜いたような食材ですが、細切りにされごま油の香りで和え物にされたシンプルな豆腐干は地味に箸が止まらないほど美味です。

東坡肉(トンポーロウ)
日本でいうところの豚の角煮。とろける食感と中国っぽい香辛料が食欲をそそります。かなり甘いです。

炒青菜(チャオチンツァイ)
その名の通りシンプルな青菜炒めですが、空心菜が一番美味しかったです。青菜炒めは簡単ながら奥の深い料理だと中国で知りました。当時空心菜は日本ではそれほど一般に流通していませんでした。

八宝飯(パーパオファン)
大きめのおはぎにドライフルーツなどがトッピングされたスイーツ。お祝いのときに食べるものらしいので、当時誰かの誕生日とかだったのかもしれません。

松鼠桂魚(ソンシューグイユー)
桂魚という白身で癖のない川魚を開いて、身の方に皮を落とさずにさいの目に包丁を入れたものを油で揚げ、甘酢餡をかけた料理。昔「葡萄魚」と教えられたような気もするのですが。。。同じものかな?

松鼠桂魚、こんな感じです。甘酢は「甘い寄り」です。(写真ACより)

 

中国料理と一言でいっても広い中国ではそれぞれの地域に特徴的な料理があり、その中でも四大名菜と呼ばれる「北京料理」「広東料理」「上海料理」「四川料理」が有名です。

私が通っていたのは蘇州市で地域的には「上海」が近いですが、昔から食文化の発達した地域ということで、中国の美味しいものが全部集まっている、と地元の人は言っていました。蘇州で仕事ができてほんとにラッキーでした。

この豪華すぎる毎日の昼食接待攻勢も、工場の経費削減などがあったのかして年々質素になり、数年後には工場長が自宅で水餃子の餡をこしらえてきたものを工員さんが仕事場で包んで(これも仕事中)、大鍋にお湯を沸かして餃子を煮る、という昼食パターンもありになりました。

これもまた、絶品!美味しかったです。

 

日本では、当時の中国で食べた以上に美味しい中国料理をまだ残念ながら食べたことがありません。30年の時を戻すことは不可能ですが、またいつか味わいたい中国料理の思い出です。

 

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