先日も少し書きましたが、コロナになってからオンラインで朗読レッスンを受けています。
朗読レッスンは個人レッスンなので、年に四回ほど、先生の主催でレッスン仲間のオンライン呑み会があるのですが、この呑み会でも軽くみんな出し物を披露し合ったりしています。
その中で先日、ひとりの女性がある一遍の詩を朗読しました。
河合酔茗(かわいすいめい)作の『ゆづり葉』という詩です。
とても美しい詩なので、ここでご紹介しますね。この作品は青空文庫に収蔵されているもので、著作者の権利保護期間が終了している作品です。
ゆづり葉
河井酔茗
子供たちよ。
これは譲り葉の木です。
この譲り葉は
新しい葉が出来ると
入れ代つてふるい葉が落ちてしまふのです。こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちを譲つて――。子供たちよ。
お前たちは何を欲しがらないでも
凡てのものがお前たちに譲られるのです。
太陽の廻るかぎり
譲られるものは絶えません。輝ける大都会も
そつくりお前たちが譲り受けるのです。
読みきれないほどの書物も
みんなお前たちの手に受取とるのです。
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど――。世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持つてゆかない。
みんなお前たちに譲つてゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを
一生懸命に造つてゐます。今、お前たちは気が附かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のやうにうたひ、花のやうに笑つてゐる間に気が附いてきます。そしたら子供たちよ
もう一度譲り葉の木の下に立つて
譲り葉を見る時が来るでせう。
出典元:青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/001861/files/57431_58187.html
私には詩の朗読はまだまだハードルが高いのですが、この詩については、以前にも他の生徒さんが朗読されたのも聞いています。
そこで私が感心したのが、同じ作品を読んでも、読み手によってその作品の世界観が全く異なるものになる、ということです。
以前に聞いたときの印象は、ゆづり葉という木の堂々とした立ち姿、安定感、包容力のようなものを感じたのですが、先日の女性の朗読では、落ちてゆく葉、譲る側の悲哀というか、自分の人生はこれからゆっくり終わり、次の世代につないでゆくのだなぁという少しの満足感と寂しさのようなものを感じました。
朗読って、読み手によってこんなにも作品の世界観が変わるんだなと、改めて朗読の面白さを体感したオンライン呑み会でした。
今はAIがテレビでアナウンサーの代わりにニュースを読む時代ですが、人の作り出すものの価値は、まだまだあるように思います。