なこのすけらいふ

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百鬼夜行と澁澤龍彦

この春入学した通信教育での課題の資料として最近購入した本があります。

《図説 百鬼夜行絵巻をよむ》です。

 

 
この中に、高校生のころ大好きだった「澁澤龍彦」氏の《付喪神》というエッセイが収録されています。
何十年かぶりで氏の文章を読み、なぜかつてあんなに好きだったのだろう、と考えてみました。
 
 
澁澤龍彦氏は1928年生まれのフランス文学者で、新しい一万円札の顔にもなったあの「渋沢栄一」の係累にあたるそうです。
高校生だった私がなぜ澁澤龍彦氏の作品と出会ったのかは覚えていないのですが、なにしろ面白くて夢中で読みました。
 
特に好きだったのが博物誌関連の本で、《幻想博物誌》は図も載っていて、何度もくりかえして読んだ記憶があります。
特に休むときに自分の足を傘のように日よけにして寝る「スキヤポデス」が大のお気に入りでした。
 
澁澤龍彦氏は「サド裁判悪徳の栄え事件)」でわいせつ物頒布等の罪で有罪になったことで有名な作家ですが、私にとっては「好奇心旺盛で自分の興味のあることにはとことん向き合う純粋さ」を感じさせる人物です。
扱うテーマは「エロスと背徳」って分野が目立つのですが、テーマのきわどさとは対照的にとても清々しくて若々しい文体であると感じます。
 
高校を卒業してからはすっかりご無沙汰でしたが、今回百鬼夜行の本で久しぶりに澁澤龍彦氏の文章に触れて、また読みたくなってきました。
このエッセイの中で氏は
百鬼夜行や井光については)私のように、人間の文化の歴史を一種の博物誌の連続として見ることを好む性癖の者にとっては、これが何と言おうか、たまらない魅力だったのである。
引用:図説 百鬼夜行絵巻をよむ 1999年 河出書房新社
とし、百鬼夜行絵巻の中で人間に捨てられて化け物になり、真夜中に練り歩く器物たちを「フェティッシュである」と書いています。
また伊藤若冲の《付喪神》、ヒエロニムス・ボッシュの絵や三島由紀夫の《金閣寺》とも比較しながら百鬼夜行を語られていて、読むこちら側の興味の対象をどんどん広げていってくれます。
 
さて『百鬼夜行絵巻』ですが、捨てられてお化けになった器物たちが夜中に行進する様子がユーモラスに描かれた絵巻物です。
室町時代から近代まで数多く描かれ、完コピもあれば二次制作もあったりして、全国に60以上の諸本が確認されているそうです。
 
図録で見るとどうしても絵巻の部分を連続してみることができずらいですが、博物館の公式サイトでは全体を見ることができてなかなか興味深いです。
 
↓ こちらの愛媛県歴史文化博物館のサイト。

↓ こっちは兵庫県立歴史博物館です。

rekihaku.pref.hyogo.lg.jp